憂愁ミッドナイト

眠れない夜に

タイムマシンがあっても

もしタイムマシンがあったら、人生のどの場所に戻るだろうか。

 

人生の分岐点という意味で言えば、確実に大学入学の時だろうなと思う。案外、就職ではそこまで人生が大きく変わらなかった。どちらかというと、高校時代までの自分に戻ったような感じだった。

 

大学入学の春、上京して人生が一変した。具体的に言うと、志望大学に合格し期待に胸を膨らませたが、ロクに友達ができずひたすら何もしない時間が増え、大学に行くのさえ億劫になり落単し、留年、鬱病を発症して軽い引きこもりになった。果物は実るのに時間がかかるが腐るのは早い。人間も同じだ。

 

 

友達ができなかった敗因として、サークルに所属しなかったという言い訳がある。サークルに所属していなかったことを明かすと、多くの人はなんで?入ればよかったのに、と言ってくる。たしかに入ればよかったなとは思うが、人生をやり直したとしても自分はサークルに入らないだろうなとも思う。

 

サークルに入らなかった理由として、入学当時は斜に構えてて浮かれて髪を染める量産型大学生を馬鹿にしていたからというのもある。そういうことは素直に楽しんだ方が幸せな人生を送れると気づいたのはずっと大人になってからだ。

 

 

ただ、今でも会社の飲み会やランチが苦手なところを見ると、やはり5人以上の集団の中に入るのが苦手なのだと気づいた。集団心理が恐ろしいからというのもあるかもしれないが、単純に話を振られて自分に視線が集中する時に感じる居心地の悪さが苦手なのだと思う。

 

入学当初辛うじてできた数人の友人たちも、サークルに入ると遊びの予定を断られるようになった。仕方がないので語学のクラスでサークルに入ってない子たちの中に入れてもらったが、まあこの人たちの話がつまらなかった。同じクラスの〇〇くんと△△ちゃんは実はデキてるらしい、みたいなロクに顔と名前も覚えていないクラスメイトの噂話ばかりで、地方に住んでいた高校時代と変わらないようで辟易した。大学に入ったら、今まで高校の同級生には理解してもらえなかった文学や映画の話ができる友人ができると思っていたのに。

 

なんだかんだであっという間に一年が過ぎ、進級して最初は元クラスメイトとも会っていたが、徐々に顔を合わせる機会もなくなった。向こうも学外で会いたいほどの友人とは思っていなかったのだろう。

 

ひとりぼっちになると、最悪なことにぼっちなどと自虐しながらも、自分は好きで一人でいるので寂しいなんて思ってませんよという顔をするようになった。もこっちの気持ちが痛いほどわかる。

 

もちろん一人行動ができるのは素敵だと思うが、素直に寂しいと言える人間の方がよっぽど強いと知った。10代の頃の自分は、寂しいというくらいなら死んだ方がマシだと思っていた。痛々しいくらいに、自意識過剰だった。

 

高校時代は、いくら周囲に趣味を理解してもらえず、男性アイドルグループの話をする友人ばかりだったとしても、学校に行けば誰かが話しかけてくれた。でも大学は、登校してから一言も言葉を発さずに帰宅することも多い。それが毎日続くと、精神がおかしくなってくる。

 

今でこそ学問に好きなだけ没頭すればよかったと思うが、その頃の自分は受験勉強で疲弊して当分勉強はしたくなかった。大学に行く意味を見出せなくなり、単位を落として留年し、元々家族との関係がよくなかったこともあり鬱病を発症した。そこから先はドミノ倒しのように人生が上手くいかなくなった。下り坂をころげ落ちるとは、よく言ったものだ。

 

酒や薬に溺れた経験なんて話しても楽しくないので、暗黒期の話題は割愛する。就職も失敗したが、今は安定した会社に転職してなんとかやっていけている。数少ないながらあの時ほしかった映画や本の話ができる友人もいるし、大学の終わり頃にできた恋人との関係も良好だ。

 

それでも、大学一年の頃に戻れるとしたら人生やり直したいなと思う時はある。ただ、やり直したとしてもどのみち同じような人生を歩むのだろうからあまり意味がないような気もする。『四畳半神話体系』の樋口師匠の「我々の大半の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる」という言葉は核心をついていると思う。

 

だから恋愛における出会った場所が違えば、みたいな話は無意味だと思う。変えられない過去を顧みてもしこうだったらと考えるより、今後どう生きていくのかを考える方が建設的だ。過去は振り返らないなんてかっこいいことは言えないが、前を向いて生きていきたいと思う。