憂愁ミッドナイト

眠れない夜に

選択式リレーションシップ

ある作品を好きになって、同じ作品を愛する友達を作りたいと思った。そこで、ツイッターの#〇〇が好きな人と繋がりたいというハッシュタグを見ていた。

 

ハッシュタグがついたたくさんのツイートを見ていくと、案外探している友人像の条件に当てはまる人が少ないことに気がつく。この人は年齢が離れすぎているとか、この人は住んでいる場所が遠いとか。

 

そこでハッとする。私は、人のことを選別している。これはマッチングアプリの仕組みと一緒だ。

 

よく人が「あの子は可愛いから付き合える」とか「〇〇はブスだから〜〜できない」といったことを言っているのを聞くと、さもしいなと思う。なぜそう思うのかと思うと、やはり自分が「選ぶ側」であると無意識に思っている傲慢さが鼻につくのだろう。しかし、皆口には出さずとも心の内でそういった感覚を持っているのではないか。

 

こういったテーマを鋭く描いたのが辻村深月氏の『傲慢と善良』である。正直にいうと、本作の結末は私が思っていたような展開ではなく思うところも少しあったのだが、人を無意識に選別する現代人の「傲慢さ」についてここまでフォーカスした作品は他にないのではと思う。

 

確かに、自分を雑に扱う人や嫌なことを言ってくる人と距離を置くのは大切なことだ。無駄なトラブルを回避し、気が合う友人とだけ付き合えるといった面では、中高時代の窮屈な人間関係に比べ大学に入ってからは比較的自由な交友関係を築くことができた。

 

ただ、そういった自由な環境下だからこそ自分の人との関わり方が「選別」になっていないかは、意識しなければいけないなと思う。自分のことをいいと思ってくれる人を、雑に扱ったり切り捨てたりするような人間にはならないように意識しながら生きていきたい。