憂愁ミッドナイト

眠れない夜に

書きたい夜があるということ

ブログを書くのは10年ぶりくらいだ。特に書きたいことがあるわけではない。Twitterは字数制限があるし、連投してまで言いたいわけではないことを吐き出す場がほしかっただけだ。noteは成功体験に溢れていて、なんだか肩身が狭い。

 

たまに心の内を吐露したくなることがある。誰かに見てほしいわけではない。と言いつつ、完全に誰も見ていない場所で吐き出したいわけではない。

 

昔、何度か文章を書くのが上手いと言われたことがあった。調子に乗って文筆家を目指し、長編を1つ書ききることですら難しいと気づいて諦め、次は編集者を目指した。しかしその夢もあっけなく潰え、普通のどこにでもいる社会人になった。読書メーターはあっという間に文学からビジネス書に染まった。『花束みたいな恋をした』を観て麦くんの「パズドラしかやる気が起きない」の一言に何より共感した。

 

別にとりたてて不幸でもなく、面白くもない人生。夢を諦めたことを後悔はしていない。ただひたすらに自分を信じて諦めずに何年も夢を追いかけている人や、社会人になってからも趣味として文芸に時間を費やしている友人を見るたびに、少し胸が痛むくらいだ。

 

自分は特別ではなかった。才能があったわけではなかったのだ。自分は書かないと死んでしまう側の人間ではなかった。分かっていたことだが、夢の終わりはあっけなく、虚しかった。

 

また、芸術をこよなく愛し続けられる側でもなかった。資本主義に染まり、尖り続けることもできなくなった面白みのない自分に、一体何が残っているのだろう。

 

こんなことをつらつらと書き綴っていても、きっと明日の朝になったらすべて忘れてPCを立ち上げ、Teamsを確認する。社会人とはどこまでも社会の奴隷であり、悲しく哀れな生き物だ。