憂愁ミッドナイト

眠れない夜に

東京讃歌

大学進学と同時に、上京した。

初めての東京は人が多くて、なんでもあるようでわくわくした。自分は大都会にいるんだと誇らしく思ったりもした。

 

高校までの、息も詰まるような地方での生活。

PARCOに行くと同級生の誰かしらに会う。男の子とのデートだってできなかった。

 

やっと自分は解放されたと思っていた。

高校から。地元から。サブカル趣味を理解してくれない同級生から。髪が伸びただけで校則違反だと注意してくる教師から。

まるで夏休み前の期末テストが終わった帰り道の昼下がりみたいな気持ちだった。

 

しかし、新鮮さというのはそう長持ちしない。

一緒に上京した高校同期と初めて歌舞伎町にきた時に、ここに入り浸る大人にはならないようにしようねという約束もいつのまにか反故になり、お互い歌舞伎町を自由に出入りするようになった。

 

趣味でもないのに同級生に貸し付けられた少女漫画を読んで、街中で「一目惚れしました」と声をかけられるシーンにときめいていたが、実際に日常的にナンパされると不快感でいっぱいになった。

 

東京には、あんなに嫌いだった高校や教師に守られていた時に知らなかった悪意や誘惑があるのだと知った。いや、きっとどこの地方にも存在するんだろう。知らなかっただけで。

 

マキヒロチさん著『いつかティファニーで朝食を』の4巻の

「私はすぐ人に流されてブレブレで何のために東京にいるのかなんてわからない」

「東京にいると貯金もしづらいし将来は不安だし恋もライフスタイルも選択肢が多すぎて誰かに人生決めてもらった方が楽なのにって思ったりする時もあるよ」

という台詞には一言一句同意せざるを得ない。

 

また、DAOKOの『Shibuya K』の歌詞にある「なんでもあるけどなんにもないな この街じゃなくて私が」という歌詞にも深く共感する。東京にはあらゆる分野で自分の上位互換みたいな人がゴロゴロいる。自分には何にもないことを最も自覚させられる都市といっても過言ではないだろう。

 

桃源郷なんて存在しないのだ。どこへ行っても。

 

時折、無性に誰も知らない場所に逃げたくなる。誰にも何も言わずにどこかへ逃げてしまおうかと考える時がある。

 

けれど、どこかへ逃げたってそこが日常になったらきっと嫌になるんだろう。それで、昔はよかったとか言って懐かしむのだろう。あんなに嫌だった高校時代ですら、美化されていい思い出みたいになっているのだから。私はそういう人間だ。

 

田舎に住んだら娯楽の少なさや濃密すぎる人間関係に嫌気がさすし、海外に住んだら言葉が通じない不便さや友人と気軽に会えない環境を嘆くだろう。

 

結局ここにいるのが一番マシなのかもしれない。地元と言える地元がない私にとって、7年も住んだ街は東京だけだ。消去法的に選んだだけで思い入れがあるわけでもないが、結局『Shibuya K』の歌詞の最後にもある通り、「帰る場所は此処」東京なんだろう。